煌きに死す

二人のアイドルに失恋した

脱オタ小論文、半年経って供養〜読んでてまたちょっと辛くなるつーかTにちょっとしたイライラがでてくる(わ〜お、よく見るオンリーの呼び方)

もともとうぇいぼ用だったから口調が変だしポエってるけどまあいいか

年末年始の二日間のライブを経て、年明けからずっともやもやして苦しくて書き殴っている、心情の整理のための自己記録 
東京二日間は良かった。
二人揃った姿を生で見るのは実に一年ぶりで、最初の曲で浮かび上がる二人のシルエットだけで、理屈もなく泣いてしまった。
彼がこのステージに立ててくれること自体、感謝しかなかったし、無理して立つだけの意味がある場所という言葉を聞いて、感動した。
ファンの私達のために〜という感動ではなく、彼自身がこの舞台を、グループでの活動はそれほど大きい意味をもつものと思っていることが嬉しかったからだ。
初日こそ苦しそうだったけど、想定内の感じであったし、喋りはテンション低くあっさり、歌もまだ上手く噛み合ってないのも致し方ない、闘っているのだな、と思った。違和感はなかった。
二日目はうって変わって、歌は前日の比じゃないくらい上手くのびのびとしたハモリで、喋りも、内容こそくだらないけど「いつもの」調子の良い二人になって、楽しすぎて胸がいっぱいになった。
二人とも一日で細かく改善点をつかめて、対処していた感じで、どんな辛い未来がきても二人だったら乗り切れる、を目の当たりにした感触だった。
そして10年近くぶりの地元会場での単独ライブ。情報が出た日に宿と新幹線を取って、遠征を楽しみにしていた。
初日、今思い返せば、まあどっちもそれほど調子良くなかったと思う。
歌は相変わらず苦しそうだったけど、それなりに安定していた。
向かって右の人はいつものアホなネタを言い出し、左の彼は辛辣なツッコミ。
正直、普段よりいくつも刺々しかった。苛立ちも感じたけど、このときは自分の考えすぎだと思った。
なんか最近ずっとこの構図だなと、このとき急に思った。右さんがワンパターンなとんちんかんなこと言って(して)、左くんが一定ののボキャブラリーを使って罵りツッコミする。
「(お約束のネタに対し)おわった?」(本気で呆れてるような表情だった)「思考が合うわけない」「仕事を真面目にしろ」「もうちょっとXXしたら俺の言ってることもっと理解できるんじゃないの」全部冗談には聞こえなかった。
右さんの返しも、これといって噛み合ってなく、ワンパターンで聞いたことのある持ちネタ(?)を繰り返す感じだった。もう無意識のレベルかと思うけど、努めてハイテンションにふるまっているのは明らかだった。
例の曲の作詞についても、東京では笑いをとりに話した感じだったのに、今回は本気で文句を言っているようにしか聞こえなかった。
一言でいえば、グダグダの極みだった。
他は正直あまり覚えていない。年越しの瞬間は、テレビ中継が一瞬つながれて、サラッとお祝いの言葉があったのかな?それで終わり。
規制退場を待っている間、心はどん底まで冷め切っていた。
周りはそんなことなかったようで、ツイッターを見ても楽しかった、よかった、最高というタイムライン。さすがに違和感があった人も少なくなかったけど、それでも萌えや尊い方向に解釈していて、なるほどな、と思った。一緒に行った友達も、別に普通だったじゃん、と呆れた感じでわたしを見て、考えすぎでしょ、としか言わなかった。気持ちを共有できる人がいなくて、それも少しつらかった。
二日目は、ちょっと期待していた。恒例イベントもあるし、例年みたいにできなくても、きっかけがあっていつもの雰囲気に戻れるかな~なんて淡い期待はあった。
まあ結果なかったわけだが。
心なしか歌も前日よりもガタガタだったし、やっつけ仕事でイベントを片付けて、はいそんじゃさよならみたいな。
途中で一回言い合いみたいになって、そこで笑いながら冗談の口ぶりで本音をぶつけていた。
左くんは右さんに大層不満があるようで、じゃあXXしてよ、こっちはXXしてるんだぞ、というが、正直それは右さんにぶつけるべき怒りではないのでは?と思った。
この回、左くんは結構ずっと右さんの言葉足らずをネタにしていたけど、逆に自分ももう少し言うことがあるでしょう、と思わずにいられなかった。
最後の挨拶、右さんが、2017年のいろいろを乗り越えてもっと強くなるので、よろしく的なことを言った。左くんの反応は薄かった。
ここでついに、あ、ダメだ、ってなった。
ひとつ強調したいのは、私は左くんが右さんを傷つけてるとか、足を引っ張ってるとか、そんなアホなこと露ほども思っていないし、右さんだってそれこそ屁とも気にしていないと思うし、
だって私は友達でもすごく長い時間を共にした人間でもないから、二人の間にあるものはなにもわからない。
分かるのは、たぶん今後も見ることになるだろうこういう二人をもう見たくないということだけ。
それからこの半年間のことが一気に頭の中蘇って、頑張ろうね乗り越えていこうねと強く言っていた右さんの隣の、左くんの反応はしかし思い出せない。今振り返れば希薄だったのだろう。
わたしは左くんが責められるべきだと1ミクロンも思っていない。
音楽は彼の命そのものという程だし、病気は決してコントロールできるものではなく、しかも今後も治癒と逆ベクトルの頑張りを強いられることになるかもしれない。
彼の持つ不安定さや心の弱さと敏感さはその驚異的な才能を構成する一部であり、それなくしては彼というアーティストは成り立たないのだから。
そして右さんの前しか向かない(ようにしている)ポジティブさ、メンタルの強さ、時折ある無神経さはこの数十年間も少なからず彼にストレスを与えて、苛立たせてきたのだろう。
また言葉が不適切かもしれないけど、右さんがどこかこの状況(「壁」、彼が言うに)にワクワクしているところさえあるのを、左くんもまた感じ取ったから余計ムカムカしたのだろうか。どうだろう。
調子良いように演じてこそプロだろ、なんて不満もこれっぽっちもない。初日だって調子が悪いのは見えてたけど、なんとも思わなかった。心配はしていたけど。
それらを痛いほど知っていても、最終的に二人は乗り越えて一層強い二人になっていくのだろうだと思っても(たぶん)、
右さんが模索しながら隣の彼を、またグループをつなぎとめる頑張りの横で、左くんの調子に一喜一憂するのはつらい。
これに関しては、二人にこんなこと今更、って話でもあるけど、年齢が違うのだ。私も、彼らも。
小学生から社会人になったし、彼らも若者から中年になった。重ねた年月の重みを認識すると、もう前と同じには見られないのだ。
アイドルの苦い部分をも含めて愛でるには、わたしは日々疲れすぎていた。
他にない関係性とキラキラしたエンターテインメントだけを享受していたいのが正直な気持ちで、それもまた全部私自身の問題であるのもわかっている。


ここまでも悪口のオンパレードかもしれないけど、よりストレートな悪口はもっとたくさんある。
その一日でもよくできないの?17日のあの「いつもの二人」ぽさはなんだったの?収録がある日だから演じきれたの?なんで開演前に心配してほしいともとれるようなブログを更新するの?お互い面倒なファンを飼っているのを知って、相手がいないときにコンサートの構成に、ソロパートについてあんなこと言ったの?それが嘘をつかないということなの?いつも言う優しさなの?
これらももう意味のないことだけど、なぜか今、線でつながって、優しさという信仰が崩れたようだった。痛みやつらさを共有することは努力できても、痛みをそのまま受け取ることはできないファンだった。
一方右さんだって、自分の考慮があって、アイドルとして、芸能人としての将来を考えてグループを守ろうとしている節はある、と思う。
以前の年には、左くんが喋ってて、右さんが冷たそうな顔をするときもあった。
あのときは右さんがよくつまんなさそうな顔をして、そのときもファンをやめようかと思った。
でも決定打はなかったし、結局持ち直すだろうという根拠のない自信があったから。今回ほど悲しくなったこともなかった。
じゃあさっさと失せろって話なんだけど、まだ抑えきれないほど好きだから書いている。
番組での演じれるものではない阿吽の呼吸も、
左くんのかわいい笑顔も、
右さんのくしゃくしゃな笑顔も、
シャッフルで曲が流れてきても、
公園で落ち葉が風で舞い上がったのを見ても、
それこそ彼氏の香水を嗅いでも思い出して苦しくなる。まだ好きだから。
この気持ち、ほんとうに失恋みたいだなって。
2018年のはじまり、最初の目標はもう二人に恋するのをやめられるように。
更新された日記、起こることにはすべて意味のあるものにしなければいけないって、そういうとこだよって少し笑っちゃった。前ならこんな真逆なのか同じなのかわからないところを楽しむ余裕もあったかもしれなかったなあ